ロングインタビュー vol.3 降矢ななさん
トカゲとキツネと森のともだち
トカゲが主人公の不思議キャラ
1986年、トカゲを主人公にした、ちょっと変わった絵本が生まれた。
ウサギやネコに比べると、お世辞でもカワイイとはいえないトカゲ。ところがこの主人公の「ちょろりん」、とっても愛嬌があっていつも一生懸命で、ヌメヌメ、ニョロリンと長いシッポの先まで「なんだかいいなあ!」と思えてしまうような不思議キャラクター。たちまち、当時の子どもたちの人気者になった。
作者の降矢ななさんは、豊かな想像力と色彩で自然や動物を描く絵本作家。そしてじつは国立育ち。どんな子どもでしたか?
「小児喘息をもっていたので、外に出て遊ぶよりは家の中で絵を描いているほうが好きでした。馬とかキツネ、オモチャのお人形を主人公にしたお話をよく描いてました。小学校のときには、メモ帳を使って、一枚一枚めくるとコマになって続いていくようなマンガを描いて、友達に見せたり、あげたりして。中学時代は手塚治虫やくらもちふさこが好きで、その頃は将来マンガ家になりたいと思っていたかな」
ママの森幼稚園、三小から一中を経て府中東高校へ。やがて画家であり絵画教室の主宰者としても知られる母親の洋子さんの影響もあって、絵の仕事をしたいと思うようになった。絵本の編集者だった叔母にすすめられて作品の持込みをしたのがきっかけで『めっきらもっきらどおんどん』(作・長谷川摂子 絵・降矢なな)で出版界にデビュー。
「でもはじめのうちは仕事の依頼がくるのは1年に一冊くらいです。それで自分からお話を作ってもっていったのが『ちょろりん』です。これがOKになって、2冊目になりました」
ななさんの生み出すキャラクターは、思いがけない動きでページをいきいきと飛び跳ねる。びっくりしてはホッとし、がっかりしては再び元気をとりもどし、危機一髪で誰かに助けられ、こわそうなおばさんがじつは親切だったり、嫌われ者の虫が頼もしかったり。そこでは子どもたちが本来もっている無邪気な願いや不安、パワフルな想像力や素直ながんばりに、いつもあたたかい目が向けられている。
スロヴァキアへの留学
デビューから7年目、ななさんがスロヴァキアの首都、ブラチスラヴァへ旅立ったのは’92年のこと。
「だんだん絵本の仕事の依頼は増えてきていたのですが、同時にもう一度、勉強し直したい、という気持ちがふくらんでいる時期でした。そんな頃、ある人からチェコスロヴァキアの絵本をたくさん見せてもらう機会があったのです。その中にとても魅力的な挿絵の『不思議の国のアリス』を見つけ、驚いて見ていると、その絵を描く人は今ブラチスラヴァの美術大学で教えている、というではありませんか。即座に、その美大へ行きたい!と思ってしまったのです。スロヴァキアの情報なんてほとんどない時代。でも首都のブラチスラヴァは、絵本の原画のビエンナーレが開かれている街なのです。私は小さいときからそのビエンナーレの話は聞いていたので、まったく未知の街へ行く、という気がしませんでした」
ブラチスラヴァはオーストリアとの国境沿いの街。伝統的な石造りの建物が美しい。ブラチスラヴァ絵本ビエンナーレ(BIB)は、東西冷戦時代も政治と関係なく子どもの絵本の世界は手をつなごうという趣旨で、1967年から始まった。
スロヴァキア語は日本で文法だけ勉強していったものの、かなり大変だったという。絵を描いていれば済むかといえば、やっぱりそんなわけにはいかない。先生の批評がわからなくて困るし、寮にはいっても大学のシステムがわからない。友達が話も理解できなくて最初は大弱り。それはもう必死に勉強を重ねるしかなかったが、やがて在学中に知り合った夫と結婚するまでに。
「私は、89年にベルリンの壁が壊れて社会主義が崩壊したあとに来たのですが、それでも生活はとても不便でした。物価は日本よりずっと安く助かりましたが、手に入らないものがたくさん。特に画材店が貧しくって、ウィーンに買出しに行っていました。日本に電話するときは、郵便局にいって窓口で申請してかけていました。それが10年余り経った今では、パソコン、携帯電話、週末も夜8時ごろまで開いている巨大なショッピングセンター、等々。信じられない変化です」
スロヴァキアから「おれたち ともだち」シリーズ(偕成社)などの作品をあらたに描き続け、現在は、画家である夫と保育園に通う6歳の長女との3人暮らし。
「娘も絵が大好き。家の中で絵を描くことが特別なことじゃないし、画材もあるし、汚しても親はそれに対しては寛容なので(笑)。でも子どもって、見せたがったり、いろいろ話しかけてくるので、一緒に自分の作品を描くのはなかなかむずかしいですね」
「こっちでの暮らしが長くなって感じるのは、日本の絵本の絵は平面的、デザイン的な絵が多いなあ、ということ。しかし私もこちらの人のようには描けません。こちらの生活が長くなるほど、自分の中に日本美術の根っこがあることを強く感じるようになってきています」
大人も子どもも絵本の世界へ
ブラチスラヴァは北海道と同じくらいの気候で、今年はもう雪が降った。
「これまでは、絵だけを提供する作品が多くて、『ちょろりん』みたいに絵も文も自分で、という作品は少なかったのですが、これからは少しずつ自作を増やしていきたいです。でも文章作りが苦手でなかなか1冊の絵本にまとまりません。
今は世界的にグローバル化が進んで、スロバキアも日本も変わらない部分も増えているけれども、だからこそ地域に根ざした人間の生き方が大切に見えます。そんな視点で、スロヴァキアの暮しがベースになるような作品を作れたらいいな、と考えています。こんな大風呂敷を広げて・・・大丈夫なんでしょうかね(笑)」
絵本と向きあう時間は、大人にとっても毎日のあわただしい現実を忘れて、自由な想像の翼を広げた子ども時代に飛べる、ステキな時間。
もしかしたら目に見えるこの世界だけが、本当ではないのかもしれない。だって、それはひとつの見方にすぎないのだから。ななさんの絵を通して見えるファンタジックな世界は、つかの間、そんなことを信じさせてくれる。
ユーモアがあって、何にも一生懸命でピュアなキャラクターたちは、デフォルメされているのに、とってもリアル。子どもたちは絵の世界に引き込まれて、暗い森や、不思議な世界の旅人になる。
今回の取材で知ったとっておき情報は、『ちょろりんととっけー』の4~5ページ、ちょろりんが森の中を歩いていくページ、下草や大きな木などの絵は、なんと、一橋大学の中の風景を参考に描いたもの、とのこと! 国立市民の〈降矢ななファン〉はついつい誇らしくなってしまう。(国立市以外の地域のみなさま、自慢してごめんなさい。 m(__)m)
「子どもの頃は国立ではまだ住宅のまわりには木がいっぱいあったし、特に一橋大学の中には自然がたくさんあって、フェンスを乗り越えて、よく中に入って遊んだのです。まわりにトカゲもいっぱいいましたし、谷保の用水もきれいで、ザリガニ取りやせり摘みにも行きました。最近は、帰国するたびに、国立の景色がどんどん変わるので、びっくりします」
来春には、福生市で〈おれたち ともだちシリーズの原画展〉があり、地元の作者である内田麟太郎氏の講演も予定されている。それには、たぶん間に合わないが、来年の夏は久しぶりに帰国予定。
(取材・文 田中えり子)
トカゲとキツネと森のともだち
トカゲが主人公の不思議キャラ
1986年、トカゲを主人公にした、ちょっと変わった絵本が生まれた。
ウサギやネコに比べると、お世辞でもカワイイとはいえないトカゲ。ところがこの主人公の「ちょろりん」、とっても愛嬌があっていつも一生懸命で、ヌメヌメ、ニョロリンと長いシッポの先まで「なんだかいいなあ!」と思えてしまうような不思議キャラクター。たちまち、当時の子どもたちの人気者になった。
作者の降矢ななさんは、豊かな想像力と色彩で自然や動物を描く絵本作家。そしてじつは国立育ち。どんな子どもでしたか?
「小児喘息をもっていたので、外に出て遊ぶよりは家の中で絵を描いているほうが好きでした。馬とかキツネ、オモチャのお人形を主人公にしたお話をよく描いてました。小学校のときには、メモ帳を使って、一枚一枚めくるとコマになって続いていくようなマンガを描いて、友達に見せたり、あげたりして。中学時代は手塚治虫やくらもちふさこが好きで、その頃は将来マンガ家になりたいと思っていたかな」
ママの森幼稚園、三小から一中を経て府中東高校へ。やがて画家であり絵画教室の主宰者としても知られる母親の洋子さんの影響もあって、絵の仕事をしたいと思うようになった。絵本の編集者だった叔母にすすめられて作品の持込みをしたのがきっかけで『めっきらもっきらどおんどん』(作・長谷川摂子 絵・降矢なな)で出版界にデビュー。
「でもはじめのうちは仕事の依頼がくるのは1年に一冊くらいです。それで自分からお話を作ってもっていったのが『ちょろりん』です。これがOKになって、2冊目になりました」
ななさんの生み出すキャラクターは、思いがけない動きでページをいきいきと飛び跳ねる。びっくりしてはホッとし、がっかりしては再び元気をとりもどし、危機一髪で誰かに助けられ、こわそうなおばさんがじつは親切だったり、嫌われ者の虫が頼もしかったり。そこでは子どもたちが本来もっている無邪気な願いや不安、パワフルな想像力や素直ながんばりに、いつもあたたかい目が向けられている。
スロヴァキアへの留学
デビューから7年目、ななさんがスロヴァキアの首都、ブラチスラヴァへ旅立ったのは’92年のこと。 「だんだん絵本の仕事の依頼は増えてきていたのですが、同時にもう一度、勉強し直したい、という気持ちがふくらんでいる時期でした。そんな頃、ある人からチェコスロヴァキアの絵本をたくさん見せてもらう機会があったのです。その中にとても魅力的な挿絵の『不思議の国のアリス』を見つけ、驚いて見ていると、その絵を描く人は今ブラチスラヴァの美術大学で教えている、というではありませんか。即座に、その美大へ行きたい!と思ってしまったのです。スロヴァキアの情報なんてほとんどない時代。でも首都のブラチスラヴァは、絵本の原画のビエンナーレが開かれている街なのです。私は小さいときからそのビエンナーレの話は聞いていたので、まったく未知の街へ行く、という気がしませんでした」
ブラチスラヴァはオーストリアとの国境沿いの街。伝統的な石造りの建物が美しい。ブラチスラヴァ絵本ビエンナーレ(BIB)は、東西冷戦時代も政治と関係なく子どもの絵本の世界は手をつなごうという趣旨で、1967年から始まった。
スロヴァキア語は日本で文法だけ勉強していったものの、かなり大変だったという。絵を描いていれば済むかといえば、やっぱりそんなわけにはいかない。先生の批評がわからなくて困るし、寮にはいっても大学のシステムがわからない。友達が話も理解できなくて最初は大弱り。それはもう必死に勉強を重ねるしかなかったが、やがて在学中に知り合った夫と結婚するまでに。
「私は、89年にベルリンの壁が壊れて社会主義が崩壊したあとに来たのですが、それでも生活はとても不便でした。物価は日本よりずっと安く助かりましたが、手に入らないものがたくさん。特に画材店が貧しくって、ウィーンに買出しに行っていました。日本に電話するときは、郵便局にいって窓口で申請してかけていました。それが10年余り経った今では、パソコン、携帯電話、週末も夜8時ごろまで開いている巨大なショッピングセンター、等々。信じられない変化です」
スロヴァキアから「おれたち ともだち」シリーズ(偕成社)などの作品をあらたに描き続け、現在は、画家である夫と保育園に通う6歳の長女との3人暮らし。
「娘も絵が大好き。家の中で絵を描くことが特別なことじゃないし、画材もあるし、汚しても親はそれに対しては寛容なので(笑)。でも子どもって、見せたがったり、いろいろ話しかけてくるので、一緒に自分の作品を描くのはなかなかむずかしいですね」
「こっちでの暮らしが長くなって感じるのは、日本の絵本の絵は平面的、デザイン的な絵が多いなあ、ということ。しかし私もこちらの人のようには描けません。こちらの生活が長くなるほど、自分の中に日本美術の根っこがあることを強く感じるようになってきています」
大人も子どもも絵本の世界へ
ブラチスラヴァは北海道と同じくらいの気候で、今年はもう雪が降った。
「これまでは、絵だけを提供する作品が多くて、『ちょろりん』みたいに絵も文も自分で、という作品は少なかったのですが、これからは少しずつ自作を増やしていきたいです。でも文章作りが苦手でなかなか1冊の絵本にまとまりません。
今は世界的にグローバル化が進んで、スロバキアも日本も変わらない部分も増えているけれども、だからこそ地域に根ざした人間の生き方が大切に見えます。そんな視点で、スロヴァキアの暮しがベースになるような作品を作れたらいいな、と考えています。こんな大風呂敷を広げて・・・大丈夫なんでしょうかね(笑)」
絵本と向きあう時間は、大人にとっても毎日のあわただしい現実を忘れて、自由な想像の翼を広げた子ども時代に飛べる、ステキな時間。
もしかしたら目に見えるこの世界だけが、本当ではないのかもしれない。だって、それはひとつの見方にすぎないのだから。ななさんの絵を通して見えるファンタジックな世界は、つかの間、そんなことを信じさせてくれる。
ユーモアがあって、何にも一生懸命でピュアなキャラクターたちは、デフォルメされているのに、とってもリアル。子どもたちは絵の世界に引き込まれて、暗い森や、不思議な世界の旅人になる。
今回の取材で知ったとっておき情報は、『ちょろりんととっけー』の4~5ページ、ちょろりんが森の中を歩いていくページ、下草や大きな木などの絵は、なんと、一橋大学の中の風景を参考に描いたもの、とのこと! 国立市民の〈降矢ななファン〉はついつい誇らしくなってしまう。(国立市以外の地域のみなさま、自慢してごめんなさい。 m(__)m)
「子どもの頃は国立ではまだ住宅のまわりには木がいっぱいあったし、特に一橋大学の中には自然がたくさんあって、フェンスを乗り越えて、よく中に入って遊んだのです。まわりにトカゲもいっぱいいましたし、谷保の用水もきれいで、ザリガニ取りやせり摘みにも行きました。最近は、帰国するたびに、国立の景色がどんどん変わるので、びっくりします」
来春には、福生市で〈おれたち ともだちシリーズの原画展〉があり、地元の作者である内田麟太郎氏の講演も予定されている。それには、たぶん間に合わないが、来年の夏は久しぶりに帰国予定。
(取材・文 田中えり子)