ロングインタビュー vol.2 渡邊順生さん
チェンバロへの夢とバロック古楽器基礎講座~
卒業してチェンバロ奏者になったわけは?
社会学部を選んだのは歴史が好きで、社会科学が総合的に学べると思ったからです。でも本当は音楽大学にも行きたかった。もともとピアノを習っていてオペラが好きだったし、高校3年くらいからはバッハにも夢中になった。でも当時は親が賛成しない。男が音楽で身をたてるなんて無理だ、食べていけないと思っているからです。
1969年は学生運動で東大入試のなかった年。一橋大学の入試は英語がむずかしいと聞いて、英語が苦手なので苦労しました。ところが入学したら、全学ストライキ。学生運動にも参加して中央線の駅前でビラ配りもしたけれど、だんだんこれはエネルギーのはけ口を求めているだけ、と思ってばかばかしくなった。だから学生運動を一所懸命やったわけではないが、ひとつだけ、いまだに染み付いているのは「世の中の多数派の意見にはまやかしがある」ということです。
当時から一橋大学には7つの帝国大学に対する、「アンチ」の気風があった。アンチ東大、官に対する民、オリジナリティを尊ぶ、などなど。それは学生だけでなく、教授陣の中にもありましたね。
ストで授業がほとんどないから、仲間を集めて、自宅でピアノを弾いたり室内楽をやっていました。それで大学3年くらいからだんだん大学に行かなくなった。(笑)
というのは、その頃、チェンバロに出会ってしまったのです。シューベルトやブラームスも好きだけど、バッハを弾いているとどうしてもチェンバロを弾きたくなる。授業がないからとアルバイトしていた楽器屋に、たまたま一時的にチェンバロがあって、それを弾かせてもらった。ああ、これがチェンバロの音か、と。
一橋大学をやめて音大に入り直そうか、留学しようかとかさんざん悩みました。でもやっぱり親が認めてくれない。ゼミの先生も「音楽家がひとり誕生するなら協力しましょう」と言って下さいまして(笑)。
チェンバロは、当時は女子のための上野学園大学が唯一、専門コースをもっていたくらいで、あとは芸大にもなかった。学ぶためには外国にいくしかなく、卒業後にすぐ留学しました。
古楽器になぜ魅力を感じるのですか?
古楽器にほれ込んだのは、チェンバロを始めて間もない頃からです。
たとえば、ピアノは太い弦を柔らかいものでたたく、減衰しないように工夫されている。高度にシビライズされた音。何百年にわたって工夫されてきた音です。でも自然界に存在する音じゃない。チェンバロは原点に近い。糸を張ってそれをはじく、消えていく。音が単純なのです。不要な圧力をかけずに出せる音。体の中に自然に入ってくる音。弦をはじいてすっと消えていく単純なところに、逆に深いものを感じたり、またロマンを感じたりします。
また、管楽器でいえば、現代の木管楽器は円筒管といって、中がまっすぐで一定の音量を保てる。バッハの時代は円錐管、一定の音量を保つのはむずかしいけれど、自然と音をふくらます、減衰させるなど、ニュアンスをつけていくのが楽であり、自然でもあります。
ナチュラルトランペットは現代のトランペットに比べると、軽くてやわらかな音で、ずっと小さな音も出ます。バッハの「ブランデンブルク協奏曲第2番」では、トランペットとリコーダーがアンサンブルをします。ところが現代のトランペットではそんな小さな音は出せない。リコーダーとでは、音量のバランスを取るのは全く不可能なのです。
楽器ブームは時代の要請か?
つまり、バロック時代の音楽は表現の仕方、楽器の発音の仕方が違うのです。
いい音とはなにか。どの時代の音楽も法則性がありますが、音の根幹に関わる言葉が違う。
美しいと感じたサウンドが、時代が変わると邪魔になる。美的感覚の変化にともない、ピアノのハンマーも調整されてきたし、弦楽器の弓の形状も変わるなど、楽器もさまざまに改変されてきた。時代時代の表現の狙いがあるのです。
たしかに今、古楽器は一種のブームでもあります。ヨーロッパでは非常に盛んで、ドイツ、フランスなどの音楽大国でも定着している。
第二次大戦後のクラシックの音楽はだんだん行き詰って、閉塞感を感じる人もいるし、(もちろん感じない人もいますが)ちょうど新しいものを求めようという気持ちが多くの人の中にあった。古い楽器であるにしても、音も新しい、表現も新しい、作曲家は大御所ということで、バッハに新しい方向から光を当てているのです。知られざる名曲が見つかることもある。
演奏者からするともともとの原点に帰って考えよう、という方向なので、自分の現代の奏法に役に立つと思ってはじめた人もいます。でもやるとなると奥が深いので、なかなかもどってこれません。(笑)
人気の高いブランデンブルグ協奏曲について
1685年に生まれたバッハは、30歳になる前にはバイオリン奏者として、ワイマール市の宮廷楽団のコンサートマスター、楽士長になりました。さらに、2年後には人口わずか2千人のケーテンの楽長になった。才能があっても、食べていくのは大変だったのです。息子たちの教育のためにももっと待遇のいい場所に移りたいと、当時の最有力貴族のひとり、プロイセン王の叔父に当たるブランデンブルグ辺境伯に捧げたのが、この曲です。一種の就職運動ですね。結果的には何も得られなかったのですが、曲のほうは不朽の名作として名を残しました。
チェンバロはピアノの前身で、それまでは伴奏の楽器でした。華やかな舞台ではいつも縁の下の力持ち。そのチェンバロを、バッハはこのブランデンブルグ協奏曲の5番で独奏させています。その後、いろんな作曲家がピアノを中心にした曲を書き、その後はピアノコンチェルトはあたりまえになりましたが、当時としてはバッハがやったことは、まさに革命的、画期的なことだったのです。
「ブランデンブルク協奏曲」では、バッハの時代のすべての楽器ではありませんが、殆どの楽器が使われていて、非常に色彩感豊かです。全6曲のうち、4曲を演奏します。バロックバンド21名のなかには、この人しか吹けないというトランペットもありますよ。古楽器の魅力は、ぜひ、実際に聴いてみてください。(談)
Profile 渡邊順生 わたなべよしお
学社会学部卒業後、アムステルダム音楽院にてグスタフ・レオンハルトにチェンバロを学び、我が国古楽界の指導的存在として、チェンバロ、フォルテピアノ及びクラヴィコード奏者、指揮者として精力的な演奏活動を展開。欧米の名演奏家・名歌手たちとも多数共演。多数のCDや著作を発表。桐朋学園大、国立音大、東京音大他で講師。
(取材・文まとめ 田中えり子)
卒業してチェンバロ奏者になったわけは?
社会学部を選んだのは歴史が好きで、社会科学が総合的に学べると思ったからです。でも本当は音楽大学にも行きたかった。もともとピアノを習っていてオペラが好きだったし、高校3年くらいからはバッハにも夢中になった。でも当時は親が賛成しない。男が音楽で身をたてるなんて無理だ、食べていけないと思っているからです。
1969年は学生運動で東大入試のなかった年。一橋大学の入試は英語がむずかしいと聞いて、英語が苦手なので苦労しました。ところが入学したら、全学ストライキ。学生運動にも参加して中央線の駅前でビラ配りもしたけれど、だんだんこれはエネルギーのはけ口を求めているだけ、と思ってばかばかしくなった。だから学生運動を一所懸命やったわけではないが、ひとつだけ、いまだに染み付いているのは「世の中の多数派の意見にはまやかしがある」ということです。
当時から一橋大学には7つの帝国大学に対する、「アンチ」の気風があった。アンチ東大、官に対する民、オリジナリティを尊ぶ、などなど。それは学生だけでなく、教授陣の中にもありましたね。
ストで授業がほとんどないから、仲間を集めて、自宅でピアノを弾いたり室内楽をやっていました。それで大学3年くらいからだんだん大学に行かなくなった。(笑)
というのは、その頃、チェンバロに出会ってしまったのです。シューベルトやブラームスも好きだけど、バッハを弾いているとどうしてもチェンバロを弾きたくなる。授業がないからとアルバイトしていた楽器屋に、たまたま一時的にチェンバロがあって、それを弾かせてもらった。ああ、これがチェンバロの音か、と。
一橋大学をやめて音大に入り直そうか、留学しようかとかさんざん悩みました。でもやっぱり親が認めてくれない。ゼミの先生も「音楽家がひとり誕生するなら協力しましょう」と言って下さいまして(笑)。
チェンバロは、当時は女子のための上野学園大学が唯一、専門コースをもっていたくらいで、あとは芸大にもなかった。学ぶためには外国にいくしかなく、卒業後にすぐ留学しました。
古楽器になぜ魅力を感じるのですか?
古楽器にほれ込んだのは、チェンバロを始めて間もない頃からです。
たとえば、ピアノは太い弦を柔らかいものでたたく、減衰しないように工夫されている。高度にシビライズされた音。何百年にわたって工夫されてきた音です。でも自然界に存在する音じゃない。チェンバロは原点に近い。糸を張ってそれをはじく、消えていく。音が単純なのです。不要な圧力をかけずに出せる音。体の中に自然に入ってくる音。弦をはじいてすっと消えていく単純なところに、逆に深いものを感じたり、またロマンを感じたりします。
また、管楽器でいえば、現代の木管楽器は円筒管といって、中がまっすぐで一定の音量を保てる。バッハの時代は円錐管、一定の音量を保つのはむずかしいけれど、自然と音をふくらます、減衰させるなど、ニュアンスをつけていくのが楽であり、自然でもあります。
ナチュラルトランペットは現代のトランペットに比べると、軽くてやわらかな音で、ずっと小さな音も出ます。バッハの「ブランデンブルク協奏曲第2番」では、トランペットとリコーダーがアンサンブルをします。ところが現代のトランペットではそんな小さな音は出せない。リコーダーとでは、音量のバランスを取るのは全く不可能なのです。
楽器ブームは時代の要請か?
つまり、バロック時代の音楽は表現の仕方、楽器の発音の仕方が違うのです。
いい音とはなにか。どの時代の音楽も法則性がありますが、音の根幹に関わる言葉が違う。
美しいと感じたサウンドが、時代が変わると邪魔になる。美的感覚の変化にともない、ピアノのハンマーも調整されてきたし、弦楽器の弓の形状も変わるなど、楽器もさまざまに改変されてきた。時代時代の表現の狙いがあるのです。
たしかに今、古楽器は一種のブームでもあります。ヨーロッパでは非常に盛んで、ドイツ、フランスなどの音楽大国でも定着している。
第二次大戦後のクラシックの音楽はだんだん行き詰って、閉塞感を感じる人もいるし、(もちろん感じない人もいますが)ちょうど新しいものを求めようという気持ちが多くの人の中にあった。古い楽器であるにしても、音も新しい、表現も新しい、作曲家は大御所ということで、バッハに新しい方向から光を当てているのです。知られざる名曲が見つかることもある。
演奏者からするともともとの原点に帰って考えよう、という方向なので、自分の現代の奏法に役に立つと思ってはじめた人もいます。でもやるとなると奥が深いので、なかなかもどってこれません。(笑)
人気の高いブランデンブルグ協奏曲について
1685年に生まれたバッハは、30歳になる前にはバイオリン奏者として、ワイマール市の宮廷楽団のコンサートマスター、楽士長になりました。さらに、2年後には人口わずか2千人のケーテンの楽長になった。才能があっても、食べていくのは大変だったのです。息子たちの教育のためにももっと待遇のいい場所に移りたいと、当時の最有力貴族のひとり、プロイセン王の叔父に当たるブランデンブルグ辺境伯に捧げたのが、この曲です。一種の就職運動ですね。結果的には何も得られなかったのですが、曲のほうは不朽の名作として名を残しました。
チェンバロはピアノの前身で、それまでは伴奏の楽器でした。華やかな舞台ではいつも縁の下の力持ち。そのチェンバロを、バッハはこのブランデンブルグ協奏曲の5番で独奏させています。その後、いろんな作曲家がピアノを中心にした曲を書き、その後はピアノコンチェルトはあたりまえになりましたが、当時としてはバッハがやったことは、まさに革命的、画期的なことだったのです。
「ブランデンブルク協奏曲」では、バッハの時代のすべての楽器ではありませんが、殆どの楽器が使われていて、非常に色彩感豊かです。全6曲のうち、4曲を演奏します。バロックバンド21名のなかには、この人しか吹けないというトランペットもありますよ。古楽器の魅力は、ぜひ、実際に聴いてみてください。(談)
Profile 渡邊順生 わたなべよしお
学社会学部卒業後、アムステルダム音楽院にてグスタフ・レオンハルトにチェンバロを学び、我が国古楽界の指導的存在として、チェンバロ、フォルテピアノ及びクラヴィコード奏者、指揮者として精力的な演奏活動を展開。欧米の名演奏家・名歌手たちとも多数共演。多数のCDや著作を発表。桐朋学園大、国立音大、東京音大他で講師。